皆さん、お母さまに直接声をかけるとき、なんて呼びますか?ご存命でない方は、なんて呼んでいました?
私は「(名前)+さん」と呼ぶことにしています。

大体の方は、「お母さん」とか「おふくろ」とか「ママ」とかそういった呼び方をするのではないでしょうか。

茶番である自民党の総裁選と、野党第一党の立憲民主党の代表選で「選択的夫婦別姓」が議論に上がりますね。
同じ漢字文化圏である東アジアの各国と、漢字文化圏でも島国である日本は文化が微妙に異なり、日本の伝統に則るのであれば「姓」と「氏」は区別されるもので、私たちの苗字(名字)と呼ばれるものは「姓」ではなく「氏」なのであり、戸籍においても「氏名」を記載します。ただまあ、明治以来の価値観では姓も氏も同じようなものになってしまいました。

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自民党総裁選に、高市早苗氏という裏金議員(13名)と統一教会🏺議員(15名)を推薦人として出馬している自称保守の議員がいます。(20人以上いるのは裏金と🏺のダブルがいるから)
この人はわざわざ「選択的夫婦別氏(姓)」と、「姓」と「氏」を厳密に区別して発言をしているのですが、そのくせ「姓」と「氏」をごちゃ混ぜにしてしまった明治以来の価値観である、「強制的夫婦同氏(姓)」を推しているという、伝統を守るんだか守らないんだかよくわからないことをやってます。

日本古来からの伝統を鑑みるに夫婦別氏(姓)がもっとも自然なのですが、ただ明治以来、夫婦同氏(姓)が当たり前だったのも事実であり、夫婦別氏(姓)にしたい人は「選択」できるようにしよう、というだけの動きなのですけど。なぜだか明治以来の価値観を「日本の伝統だ」と言い張るのが"自称"保守、実態は"エセ"保守な方々の特徴です。
もともと古来から夫婦別氏(姓)が当たり前だったのです。明治時代、日本は近代国家として未熟でした。明治政府が、徴兵制度のために戸籍制度を作ったんですが、その時に夫婦別氏(姓)だと難しい部分があったのでしょう。また、訴訟を捌く際などに夫婦別氏(姓)だとよくわかんなくなるから、「強制的に夫婦を同氏(姓)」にした、みたいな歴史的な経緯があったのですが、それを知らないで議論をしている方が多い気がします。

小泉進次郎氏がなにかの大臣だった頃、選択的夫婦別氏(姓)について国会でこんなことを言っていました。



「反対する理由は何もない。別姓でなければならないという制度だったら、私は反対だが、別姓にするか、今の通りかを選択ができるようになる。別姓が嫌な方はその選択肢を選ばなければいいわけだから。私は選択が可能な社会をつくることは非常に大切なことだと思う」

引用元:朝日新聞デジタル2020年12月4日

小泉進次郎氏の、上記のような部分はとても良いな、と思います。
時代遅れな新自由主義的な価値観であったり、対米追従の姿勢であったり、そういう部分は個人的には容認できないのですけど、唯一の救いであります。まあ、最近バカなのが日本中にバレちゃってますし(笑)、だいたい自民党の時点でクソなんですけどね。

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さて。いい加減、別氏(姓)と書くのが面倒くさいことと、読む側も鬱陶しいと思いますので、「名字」と表記します。

さて、吉田花子、という女性がいたとします。小泉太郎さんと結婚をしました。
「夫婦の名字は同じでなければならない事を強制される」の世の中で、夫の名字と妻の名字のどちらを名乗るかはを選ぶことこそできますが、95 %は夫の名字にするそうです。

ここで、"吉田花子"さんは、"小泉花子"さんになりました。

よほど親しい仲ではない限り、社会では相手のことは名字で呼びますので、以後、花子さんは対外的には「小泉さん」と呼ばれることになります。

小泉夫婦が、子宝に恵まれたとしましょう。
そのうち、花子さんは太郎さんからも、子どもたちからも「お母さん」と呼ばれるようになります。

吉田花子さんだった方は、対外的には「小泉さん」になって、家庭では「お母さん」になってしまいました

年を経るにつれ、人は老いますので、花子さんのことを花子さんと呼ぶ人はどんどん減っていくのでしょう。

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昔、そんなことを考えたていたんです。
それで母親のことを呼ぶときに「お母さん」であるとか「おふくろ」であるとかそういう言葉で呼ぶのはよくないな、なんて思いました。だって、彼女は私のことを「長男」なんて呼ばないのですから。

だから私は、母親も、もちろん父親も、きょうだいも名前で呼ぶようにしました。