数年前に大往生した私の伯父は、元・特攻隊員でした。もっとも、数年前に大往生したことでわかるとおり、出撃の前に終戦を迎えたのですけど。
この伯父というのが、なかなかえらい人で戦後の混乱期から、祖父の後妻の子で戦後に生まれた私の父(伯父から見たら腹違いの弟)を含め、何人もの兄弟姉妹を養ってくださった、いわば、私の祖父のような方なのです。血縁上の祖父は祖父で、小学生に入る前までは生きていたはずですが、祖父は何をしてたのかはよくわかりません。どうしようもない人だっただけ聞いています。父の「きょうだい」たちは共通して祖父のことを語りません。父は、伯父と祖母に育てられたので、その二人が亡くなったから、一気に色々ときたのかもしれません。
私の家のテレビは壊れたままで、観ることはできないのですが。例年「終戦の日」近辺は必ずテレビで特攻隊にまつわる特集が組まれると思います。
特攻隊というと飛行機で突っ込む「神風特攻隊」をまずイメージをされる方が多いと思います。近年は他のトンデモ兵器も取り上げられることも増えてきたと思われ、特攻に使われるトンデモ兵器として有名な、「桜花(人間ロケット)」であるとか「回天(人間魚雷)」の他にも、「震洋」というものがありました。どういうものかというとボートの先っぽ(?)に爆弾をつけて軍艦に突っ込む自殺ボートのようなもので、伯父はその「震洋」で出撃する予定だったそうです。
「伏龍特攻隊」という、水に潜っていて人間が爆弾を持ってアメリカの船底をつく、というもはや兵器ですらない人間機雷のようなものもありましたよね。まったく愚かな話です。
さて、コロナ禍、特に「緊急事態宣言・まん延防止等重点措置」が発令した時代、街の飲食店はかなりダメージを受けましたよね。
もう閉店してしまいましたが、お気に入りの地元の居酒屋もコロナの影響&オーナー社長のご尊父の健康問題のため開いたり開かなかったり、という状態が続いていました。
そしてコロナの最中、オーナーのご尊父が亡くなり、ご尊父の会社を整理しなければならなかったため、短い時間だけ店を開けるなら、いっそ休業して整理を優先させようという判断で長期休業をしてしまいました。
そんな中、仕方なく地元にある「安いけど大して美味しくない」お店に通っていました。ぶっちゃけそこの店、嫌だったんですよね。フレンドリーな雰囲気、といえば聞こえはいいのですが、人がカウンターで本を読んでいる時に、普通に隣の客が話しかけてくるので鬱陶しかったです。他に店が開いてないから仕方なく通ってただけなのですが。
「じゃあ家で飲みなよ」と思われる方もいらっしゃるでしょうね。私には、「仕事をする場で酒を飲まない」というポリシーがあります。当時、私は元彼女と一緒に暮らしていました。
自宅で一人でお酒を飲むとしたら、自分の部屋で飲むしかなかったのですが、「自分の部屋=仕事をする場所」なのですよね。なので、そこで飲むことは私のポリシーに反するのです。したがって、当時の私は、外に飲みに行く選択肢しかなかったのです。
今は、元彼女と別れた結果、自宅で、一人で仕事をする部屋以外でお酒を飲むことはできています。3LDKの家は完全に持て余していて、ローンを返し終わったあとは2LDKの賃貸に引っ越そうと思っていますが。。。
さて、その居酒屋でやたら隣の客に話しかける爺さんがいました。
その爺さんが「俺は特攻隊だったんだよ!」と、よく周りの客に語っていて、私にも声をかけてきたうえで、あれやこれやと語ってくるのです。
冒頭で書いた通り、伯父が特攻隊だったこともあり、伯父と同じ境遇であった方には特別なリスペクトがあります。他の客と同じく、一人で飲んでいるのに話しかけられるのは鬱陶しいことには変わりませんが、そういった方のお話は嫌でも一度はきちんと聞かなければいけないと思いました。
その爺さんが帰るとき、私は「そういえば、お父さんいくつなの?」と聞きました。そうすると、こう返ってきました。
「俺かい?82だよ」
ん?んんん?
2021年のお話なので、当時は戦後76年です。
単純計算をすると 82 - 76 = 6 まあ±1はあるにしてもサ…。
ホラじゃねーか!このクソじじい!!
この手のクソじじいが安い居酒屋に溜まっていることは珍しくありませんが、鬱陶しいのに、伯父と同じような境遇だと思ったうえで、話を聞いてやったため、それがホラとわかるとかなりムカつきます。
それ以来、その店でその爺さんを見ると、(マスクをして)大きな声で「いよぅっ!特攻隊!!」とこちらから声をかけて「ところでいくつだっけ?」と年齢を聞くようにしました。すっげー嫌な顔をされました。
そのうち、お気に入りの店が店を開け始めたので、その店に行くことは二度となかったのでした。
この伯父というのが、なかなかえらい人で戦後の混乱期から、祖父の後妻の子で戦後に生まれた私の父(伯父から見たら腹違いの弟)を含め、何人もの兄弟姉妹を養ってくださった、いわば、私の祖父のような方なのです。血縁上の祖父は祖父で、小学生に入る前までは生きていたはずですが、祖父は何をしてたのかはよくわかりません。どうしようもない人だっただけ聞いています。父の「きょうだい」たちは共通して祖父のことを語りません。父は、伯父と祖母に育てられたので、その二人が亡くなったから、一気に色々ときたのかもしれません。
私の家のテレビは壊れたままで、観ることはできないのですが。例年「終戦の日」近辺は必ずテレビで特攻隊にまつわる特集が組まれると思います。
特攻隊というと飛行機で突っ込む「神風特攻隊」をまずイメージをされる方が多いと思います。近年は他のトンデモ兵器も取り上げられることも増えてきたと思われ、特攻に使われるトンデモ兵器として有名な、「桜花(人間ロケット)」であるとか「回天(人間魚雷)」の他にも、「震洋」というものがありました。どういうものかというとボートの先っぽ(?)に爆弾をつけて軍艦に突っ込む自殺ボートのようなもので、伯父はその「震洋」で出撃する予定だったそうです。
「伏龍特攻隊」という、水に潜っていて人間が爆弾を持ってアメリカの船底をつく、というもはや兵器ですらない人間機雷のようなものもありましたよね。まったく愚かな話です。
さて、コロナ禍、特に「緊急事態宣言・まん延防止等重点措置」が発令した時代、街の飲食店はかなりダメージを受けましたよね。
もう閉店してしまいましたが、お気に入りの地元の居酒屋もコロナの影響&オーナー社長のご尊父の健康問題のため開いたり開かなかったり、という状態が続いていました。
そしてコロナの最中、オーナーのご尊父が亡くなり、ご尊父の会社を整理しなければならなかったため、短い時間だけ店を開けるなら、いっそ休業して整理を優先させようという判断で長期休業をしてしまいました。
そんな中、仕方なく地元にある「安いけど大して美味しくない」お店に通っていました。ぶっちゃけそこの店、嫌だったんですよね。フレンドリーな雰囲気、といえば聞こえはいいのですが、人がカウンターで本を読んでいる時に、普通に隣の客が話しかけてくるので鬱陶しかったです。他に店が開いてないから仕方なく通ってただけなのですが。
「じゃあ家で飲みなよ」と思われる方もいらっしゃるでしょうね。私には、「仕事をする場で酒を飲まない」というポリシーがあります。当時、私は元彼女と一緒に暮らしていました。
自宅で一人でお酒を飲むとしたら、自分の部屋で飲むしかなかったのですが、「自分の部屋=仕事をする場所」なのですよね。なので、そこで飲むことは私のポリシーに反するのです。したがって、当時の私は、外に飲みに行く選択肢しかなかったのです。
今は、元彼女と別れた結果、自宅で、一人で仕事をする部屋以外でお酒を飲むことはできています。3LDKの家は完全に持て余していて、ローンを返し終わったあとは2LDKの賃貸に引っ越そうと思っていますが。。。
さて、その居酒屋でやたら隣の客に話しかける爺さんがいました。
その爺さんが「俺は特攻隊だったんだよ!」と、よく周りの客に語っていて、私にも声をかけてきたうえで、あれやこれやと語ってくるのです。
冒頭で書いた通り、伯父が特攻隊だったこともあり、伯父と同じ境遇であった方には特別なリスペクトがあります。他の客と同じく、一人で飲んでいるのに話しかけられるのは鬱陶しいことには変わりませんが、そういった方のお話は嫌でも一度はきちんと聞かなければいけないと思いました。
その爺さんが帰るとき、私は「そういえば、お父さんいくつなの?」と聞きました。そうすると、こう返ってきました。
「俺かい?82だよ」
ん?んんん?
2021年のお話なので、当時は戦後76年です。
単純計算をすると 82 - 76 = 6 まあ±1はあるにしてもサ…。
ホラじゃねーか!このクソじじい!!
この手のクソじじいが安い居酒屋に溜まっていることは珍しくありませんが、鬱陶しいのに、伯父と同じような境遇だと思ったうえで、話を聞いてやったため、それがホラとわかるとかなりムカつきます。
それ以来、その店でその爺さんを見ると、(マスクをして)大きな声で「いよぅっ!特攻隊!!」とこちらから声をかけて「ところでいくつだっけ?」と年齢を聞くようにしました。すっげー嫌な顔をされました。
そのうち、お気に入りの店が店を開け始めたので、その店に行くことは二度となかったのでした。
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