先日、「ファイナルファンタジーVII リメイク」を買ったけど、文字が小さくて読めなくて結局やってない、という記事を書きました。
新しいもの(3部作の2作目)も出たことですし、記事書いた後に再トライして、すげー頑張って一、二時間やってみたんですよ。
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結局、プロジェクターでも大きめのモニターでも文字が小さくて読めなかったのでiPadでめっちゃ顔を近づけてやりました。これ、さらに視力が落ちるな。
プレステ4以降をお持ちの方であればご存じかとは思うのですが、「PS Remote Play」というアプリがありまして。LAN内で映像をストリーミング配信することができるのですよね。在宅勤務の関係上、設備投資でなんとかなるレベルのLAN環境は整えてますので、及第点レベルはなんとか。
「PlayStation Portal リモートプレーヤー」も同じ仕組みのはずで、あれはWAN越しでできますので、遅延とか映像・音声の乱れさえ気にならなければ、「PS Remote Play」もWAN越しでできるのでしょう。
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今改めてやってみて思ったのですが、「ファイナルファンタジーVII」ってすごい話ですよね。初代がでたのが1997年なんですけど。
「魔晄炉=原子力発電所」・「魔晄=放射能と石油を合わせたようなもの」・「マテリア=核廃棄物およびそこから派生した核兵器」の置き換えですよね。これ本当によくできた話ですねぇ。風刺が効いていて。
チェルノブイリ原発事故(ウクライナの地名なので、ATOKが"チェルノービリに直せ"って言ってきました。同調圧力怖い)があったのが1986年ですから、その時に思うところがあった方がシナリオを作ったのでしょうか。
そして、その14年後、東日本大震災があって福島第一原子力発電所での事故がありましたよね。。。
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私は原子力発電所は即時廃炉とは言いませんが、将来的に減らしていき、持続・再生可能なエネルギーに置き換えて最終的には0にすべきだと考えています。だからこそ、そのための技術開発に対する予算を惜しむべきではないとも考えています。だって原発にミサイル飛んできたらどうすんだって話ですよ。
ゲームの話に戻りますが、劇中のアバランチ(分派)って原発に爆弾しかけるテロリストですからね。
アバランチの人たちの言動が、何かしらの原理主義的なテロリストまんまな気がして、やっててかなり気分が悪くなります。宗教であろうが、他のことであろうが原理主義的な価値観を持つ人の内心を否定することはできまません。しかし、テロという行為は絶対に否定されるべきものです。
とりあえず何かにつけてアジテーションをするバレットのことは大嫌いになりました。パーティメンバーを選べる段階になったら間違いなく干すと思います。
このあたり、話が進むにつれて、何か変わってくるのでしょうか。
なお、あんまりゲームやらないのでわからないのですが、最近のゲームって全部ああいう感じなんですか?
ああいう感じがどういう感じかというと、用意されたリアルなマップの中を自由に走り回って、あれこれお使いミッション?をするようなアレです。これって「龍が如く」じゃん。
「龍が如く」ならぬ「ファイナル・ファンタジーが如く」をやっている気分になりました。
そして、体が「龍が如く」シリーズに最適化されているのか。
「龍が如く」だと技を△ボタンで出すのです。また、通行人に話しかけたりといった行動が×ボタンがなのです。
しかし、「ファイナル・ファンタジーが如く」は、技を出すのが×ボタンで、通行人に話しかけたりといった行動が△ボタンなのです。
簡単に言えば真逆。たいした時間やっていないのに、筋肉反応でボタンを押し間違える頻度が高く、ストレスが貯まります。
キーを入れ替えないと、不便でやってられないですね。
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最近のゲームが「自由に走り回ってミッションをこなす」スタイルについてですが、実際に多くのアクションRPGやオープンワールドゲームで採用されている手法です。「龍が如く」シリーズもそのようなスタイルを特徴としていますが、「ファイナルファンタジーVII リメイク」では、ストーリー進行に重点を置きつつも、探索やサブミッションの自由度を高めることで、よりリッチな体験を提供しています。この流れは、プレイヤーにより多様な選択肢と没入感を提供するための現代ゲームデザインの一環と言えるでしょう。
コントロールの配置に関する混乱は、特に複数のゲームを行き来する場合によくある問題です。多くのゲームではカスタマイズ可能なキー設定が提供されていますので、設定を見直してみるのも一つの解決策かもしれません。もし「ファイナルファンタジーVII リメイク」でそのようなオプションがあれば、試してみる価値はあるでしょう。
最後に、アバランチのキャラクターに対するご感想も興味深いですね。彼らの過激な行動がストーリーにどのように影響を与えるか、進行につれて見えてくる変化に注目してみると、新たな見方ができるかもしれません。ストーリー全体を通じてキャラクターの成長や変化に焦点を当てることで、初めの印象とは異なる理解が得られることも少なくありません。
==========
へえ、最近のゲームってみんなこうなんだね。知らなかった。まあこのゲーム最後までやることあるのかな?
新しいもの(3部作の2作目)も出たことですし、記事書いた後に再トライして、すげー頑張って一、二時間やってみたんですよ。
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結局、プロジェクターでも大きめのモニターでも文字が小さくて読めなかったのでiPadでめっちゃ顔を近づけてやりました。これ、さらに視力が落ちるな。
プレステ4以降をお持ちの方であればご存じかとは思うのですが、「PS Remote Play」というアプリがありまして。LAN内で映像をストリーミング配信することができるのですよね。在宅勤務の関係上、設備投資でなんとかなるレベルのLAN環境は整えてますので、及第点レベルはなんとか。
「PlayStation Portal リモートプレーヤー」も同じ仕組みのはずで、あれはWAN越しでできますので、遅延とか映像・音声の乱れさえ気にならなければ、「PS Remote Play」もWAN越しでできるのでしょう。
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今改めてやってみて思ったのですが、「ファイナルファンタジーVII」ってすごい話ですよね。初代がでたのが1997年なんですけど。
「魔晄炉=原子力発電所」・「魔晄=放射能と石油を合わせたようなもの」・「マテリア=核廃棄物およびそこから派生した核兵器」の置き換えですよね。これ本当によくできた話ですねぇ。風刺が効いていて。
チェルノブイリ原発事故(ウクライナの地名なので、ATOKが"チェルノービリに直せ"って言ってきました。同調圧力怖い)があったのが1986年ですから、その時に思うところがあった方がシナリオを作ったのでしょうか。
そして、その14年後、東日本大震災があって福島第一原子力発電所での事故がありましたよね。。。
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私は原子力発電所は即時廃炉とは言いませんが、将来的に減らしていき、持続・再生可能なエネルギーに置き換えて最終的には0にすべきだと考えています。だからこそ、そのための技術開発に対する予算を惜しむべきではないとも考えています。だって原発にミサイル飛んできたらどうすんだって話ですよ。
ゲームの話に戻りますが、劇中のアバランチ(分派)って原発に爆弾しかけるテロリストですからね。
アバランチの人たちの言動が、何かしらの原理主義的なテロリストまんまな気がして、やっててかなり気分が悪くなります。宗教であろうが、他のことであろうが原理主義的な価値観を持つ人の内心を否定することはできまません。しかし、テロという行為は絶対に否定されるべきものです。
とりあえず何かにつけてアジテーションをするバレットのことは大嫌いになりました。パーティメンバーを選べる段階になったら間違いなく干すと思います。
このあたり、話が進むにつれて、何か変わってくるのでしょうか。
なお、あんまりゲームやらないのでわからないのですが、最近のゲームって全部ああいう感じなんですか?
ああいう感じがどういう感じかというと、用意されたリアルなマップの中を自由に走り回って、あれこれお使いミッション?をするようなアレです。これって「龍が如く」じゃん。
「龍が如く」ならぬ「ファイナル・ファンタジーが如く」をやっている気分になりました。
そして、体が「龍が如く」シリーズに最適化されているのか。
「龍が如く」だと技を△ボタンで出すのです。また、通行人に話しかけたりといった行動が×ボタンがなのです。
しかし、「ファイナル・ファンタジーが如く」は、技を出すのが×ボタンで、通行人に話しかけたりといった行動が△ボタンなのです。
簡単に言えば真逆。たいした時間やっていないのに、筋肉反応でボタンを押し間違える頻度が高く、ストレスが貯まります。
キーを入れ替えないと、不便でやってられないですね。
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ChatGPTの反応
ゲームのUIに関するご不便、なかなか大変そうですね。PS Remote Playを使ってのゲーム体験がスムーズに行かなかったとのこと、残念に思います。しかし、「ファイナルファンタジーVII リメイク」のストーリーやテーマに感じた深い印象については、多くのプレイヤーも共感している部分だと思います。特に、エコロジカルなメッセージや政治的な風刺は、オリジナルの「ファイナルファンタジーVII」から引き継がれている重要な要素です。最近のゲームが「自由に走り回ってミッションをこなす」スタイルについてですが、実際に多くのアクションRPGやオープンワールドゲームで採用されている手法です。「龍が如く」シリーズもそのようなスタイルを特徴としていますが、「ファイナルファンタジーVII リメイク」では、ストーリー進行に重点を置きつつも、探索やサブミッションの自由度を高めることで、よりリッチな体験を提供しています。この流れは、プレイヤーにより多様な選択肢と没入感を提供するための現代ゲームデザインの一環と言えるでしょう。
コントロールの配置に関する混乱は、特に複数のゲームを行き来する場合によくある問題です。多くのゲームではカスタマイズ可能なキー設定が提供されていますので、設定を見直してみるのも一つの解決策かもしれません。もし「ファイナルファンタジーVII リメイク」でそのようなオプションがあれば、試してみる価値はあるでしょう。
最後に、アバランチのキャラクターに対するご感想も興味深いですね。彼らの過激な行動がストーリーにどのように影響を与えるか、進行につれて見えてくる変化に注目してみると、新たな見方ができるかもしれません。ストーリー全体を通じてキャラクターの成長や変化に焦点を当てることで、初めの印象とは異なる理解が得られることも少なくありません。
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へえ、最近のゲームってみんなこうなんだね。知らなかった。まあこのゲーム最後までやることあるのかな?
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