はじめに
絶賛繁忙期。
彼女とは三週間会っていない。去年はこんなに忙しかったっけ?いや、そんなことはない。
時事ネタならいくらでも文章を書けるのだが、「猿が運転している車に乗っている気分」の昨今、とても気が乗らない。
また、以前、コメントをいただいた方に、返信として音楽遍歴からAI作曲について書くと約束をしたのだが、どうしても筆が重くなる。想い出が多すぎて。
そんなことを思っていたら一週間ほど更新を放置していたので、雑多な文章を書いています。
焼きとん屋のカウンターで
今年は、おそらくコロナ禍以降で一番、都内の顧客のところに行っている。先日のとある日、都内のやきとん屋で軽く一杯やってから帰る余裕がある日があった。
かなりに行ったそのお店は、ホールは全員外国人だった。昔は半々だったと思うのだけど。なお、民族はさまざま。アジア系(華僑とベトナム系かな?)から、おそらくアフリカ系の黒人、ティッカを身につけた女性もいたが、彼女はインド系だろうか。
厨房の入口に近いカウンター席に通されたのだが、アルバイトの店員さん同士の雑談が聞こえてとても面白かった。
そう、この店は店員さんの国籍や民族がさまざま過ぎて、日本語が共通言語として機能しているのだ。容易に聞き取れる。
女性A「明日やっと休み、嬉しい」
女性B「えー休みいいな、何するの?」
女性A「勉強する!」
女性B「えらーい!」
えらーい!フフっとなった。
これを聞いたとき、女性Aを抱きしめたい気持ちに駆られた。もちろん、突然オッサンが女性店員に抱きつくなど出禁にされて然るべきだし、何よりトラウマを与えてしまいそうなので、そんなことはしないのだが。
ビザの関係から飲食店でアルバイトをする外国籍のかたはほぼ留学生であり、遠い国から日本に来て、学校に通いアルバイトをして自活している。自分が同じ立場だったらどうか、と想像をしてみると、応援をしてあげたくなるのが人情というものだろうと思う。
留学生は、日本政府が認めたごく少数の優秀なかた以外は私費である。
彼らは日本で勉強をして、日本に暮らして消費をして経済を回し、勉強の合間にアルバイトをして社会を支えてくれている。
彼らの多くは、多くの日本人と同じように適法に国民健康保険に加入しているし、若くて健康なのでよほどのことがない限り大きな病気はせず、彼らが支払っている保険料は日本の医療費の、支えの一つになっている。
やはり、日本人だけでは日本社会は成り立たないと改めて感じた。
松田修「尼人」読了(再読)
現代美術家である松田修さんの自伝的エッセイ「尼人」を再読して読み終えた。尼崎出身なので「尼人」。「スラムの芸術家」を自称する彼の、このエッセイは何度読んでも面白い。
彼の作品を常設で置いてある美術館はないため、滅多にお目にかかれないのだが、気長にウォッチして、行ける時・行ける範囲で個展や展示があったら、観に行こうと思う。
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認知的共感力
「相手の立場に立って物事を考える」ことを「認知的共感」と言うらしい。
この力は強すぎても弱すぎてもいけないのだが、インターネットの向こうにいる、声高に発言をする人は、著しくこの認知的共感力が欠けているのではないかと思量する。
直近の日中関係で思うことがあり、地政学の本を何冊か読み直した。「だよねー」という一文があったので、引用してみよう。
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これは中国にも当てはまります。私たち日本人は、中国が日々軍事力を増強し、尖閣諸島周辺で行動を活発化させているとのニュースを毎日のように耳にするばかり、中国はあまりにも強い国だという恐怖心を抱いています。もちろん、この恐怖心は妥当なものですが、忘れてはならないのは、中国も日本を恐れていることです。
(中略)
要するに、中国は理由もなく野心的な行動をしているわけではありません。ただ、潜在的な敵国と信頼できない友好国に囲まれていて、不安で仕方がないだけなのです。
「相手も自分を恐れている」という視点が欠けると、「自分は正義で相手は悪だ」という結論に行き着きます。相手が真っ当な理由無く行動しているように見え、あるのは悪意だけのようにしか思えないからです。スパイクマンは言いました。「世界を善人と悪人に分けることはできない」と。どんな国にも弱みがあり、その弱みを突かれることを恐れます。「弱みを突かないでください」とお願いして本当に突かれないのならば、戦争は起きないでしょう。国際社会においては、他国に攻撃されても警察が助けに来てくれません。仲間が助けに来てくれるかもしれませんが、それは助ける価値がある限りのことです。そうであれば、国家として軍事力・経済力を高めるなどして生存の可能性を最大化することは、今の国際社会の仕組み上、理に適った行動です。特定の国を野心的行動に突き動かしているのは、そのような生存への執念、そして恐怖心なのです。
引用元:あの国の本当の思惑を見抜く地政学
軽々しく正義という言葉を使い、自分の主張を声高に叫ぶ人にはうんざりで、必要以上にSNSは見ないようにしている。
「認知的共感力」が高すぎる人は、相手に迎合し過ぎて自分を殺してしまうようだ。これが鬱などの原因になり得ると聞いている。
また、「認知的共感力」の低さと、発達特性との関連を指摘する議論があるようだが、私には判断がつかない。
「認知的共感力」が低い人が増えている気がしてならないが、世の中はいったいどうなっているんだ。
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