はじめに
私の苗字は割と珍しい。仮に「不惑」家としよう。
インターネットで雑に調べる限りでは日本に12000人くらいしかいないようだ。
私は「不惑」家最後の男子であり結婚願望がないため「不惑」家は私で途絶えることになる。
特に感傷はないが、氏族がどういうルーツなのかを調べてみることにした。ここ数ヶ月ちょこちょことやってきたことである。
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戸籍などからわかった事実を積み上げると、少なくとも明治以降はかなりの貧困だったことがわかった。
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戸籍だけで200年近く遡れたという希有な経験をした。
最終回、戦後80年
はじめに
このシリーズはもう終わりする。ブログで先祖調査に触れることはあっても記事には書かないことにする。先祖調査に特化したブログを別に作るかも始めるかもしれないが…。
不惑家の戸籍を調べたあと、どうせだったら全部の家系をある程度調べようと考え、父の父(不惑家)の他、父の母、母の父、母の母、と遡って戸籍を請求して整理をしている。番外家を含めて戸籍だけでは9家、番外家と同じように父系に養子がいたため、それ以上遡るとしたら全部で10家になるのか。
子どもが生まれるタイミングにもよるのだが、全家系で今のところ誰も戦没していないことがわかる。これって希有な例なのだろうか。
父の兄である伯父の話
以前触れたが、伯父は特攻隊あがりだったと聞いている。
「震洋」というボートの先っぽに爆弾をつけて軍艦に体当たりする特攻兵器があるのだが、それで出撃する前に終戦を迎えたという。もともとは整備兵だったと聞いているが、おそらく志願(という名の強制)により乗組員に転じたと考えられる。
これは伝聞なので本当かどうかはわからない。とにかく伝聞はあてにならない。正確なところを調べるために、伯父の軍歴証明を請求しようとしたのだが、私は直系卑属ではないため、伯父の死亡時の戸籍を取得できないので軍歴証明を取得することができない。真実は闇のなかである。
伯父は、志願兵であり海軍にいたことを誇りに思っていたようだ。伯父の家には海軍の白い軍服を着た伯父の写真と儀礼用のサーベル(短剣)が飾ってあったのを覚えている。
母の父である祖父の話
母の父である祖父は、戦時中に仕事で満州にいたと聞いていた。徴兵を回避するために、満蒙開拓団にでも参加していたのだろうと思っていた。しかし、伝聞というのはとにかくあてにならない。郷土史を読み、満州からの引き揚げ者名簿を調べたところ、祖父の名前がなかったのだ。引き揚げ者名簿には「軍人を除く。軍属は記載がある場合とない場合がある」と書かれていた。
そこで、都道府県の担当部署に問い合わせたところ、なんと祖父が出征していたことがわかった。担当者によると南方にいたらしい。年齢的に徴兵をされたものと思われる。都道府県に調査を依頼して、軍歴証明書などの発行をお願いしているところだ。
祖父は、自分が出征したことを私たちに語ることはなかった。父の兄である伯父と、母の父である祖父。年齢は5歳ほどしか変わらない。
太平洋戦争で亡くなった方のほぼ半数が、広義の餓死であったと言われている。祖父は、飢えでとても苦しい思いをしたのだろう。
海軍と陸軍の違い、軍隊にいたことを誇りに持つか、軍隊にいたこと自体を語らないか。
この違いについてぼんやりと考えている。
二度と過ちを繰り返してはならない。
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