私の苗字は割と珍しい。仮に「不惑」家としよう。
インターネットで雑に調べる限りでは日本に12000人くらいしかいないようだ。
私は「不惑」家最後の男子であり結婚願望がないため「不惑」家は私で途絶えることになる。
特に感傷はないが、氏族がどういうルーツなのかを調べてみることにした。ここ数ヶ月ちょこちょことやってきたことである。
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フィールドワーク
伯父の墓探し
普段は在宅で仕事をしているのだが、5月の一時期、非常に外出が多かった。その時期のある日、午後のスケジュールがぽっかり空いてしまったのだ。せっかく時間をかけて都内に出たのに、何もせずにまた電車で家に帰るのもバカバカしい。
そこで、記憶を頼りに、伯父家(祖父など)の墓があるであろう日蓮宗の寺に向かうことにした。
無事寺に着き、伯父の墓を探そうと試みたのだが。墓場なので当たり前なのだが、墓がある。私の想像以上に大量の墓がある。
はじめは墓石一つ一つの苗字を見て回るつもりであったが、数が多すぎる。これは無駄な作業だ。そもそも「ある」か「ない」のかが、わからないのだから。諦めるのは早いほうがよい。
諦めたとして、ではどうするかというと非常にシンプルだ。住職に聞くことにした。
無かった場合、「ない」という返答なら一瞬で得られるであろう。「ある」場合だが、個人情報の扱いに関してうるさい昨今である。素直に教えてくれるのかが疑問であった。結果「あった」のだが、正攻法で突破した。
やり取りの内容はこうだ。繰り返すようだが、私の苗字は割と珍しい。
住職に「伯父の墓を探している。苗字は"不惑"である」と告げたところ、住職は驚いた顔をし「ウチに"不惑"という墓は一軒しかない。伯父さんの下の名前を教えて欲しい。また、なんらかの繋がりを証明できるか」と言われたのだ。
そこで、伯父の名前の一部(△△なんとかだった気がする)を伝え、「繋がりは証明できないが、私の苗字が"不惑"であることは証明できる」と、免許証を出しただけだ。
例えば、「佐藤」・「鈴木」・「髙橋」・「田中」だったら納得はされなかったのかもしれない。しかし、苗字の珍しさで信用してもらえた。たまにはいいこともあるものだ。
伯父が亡くなって、一度も墓参りができなかったことを悔やんでいた。場所がわからないのだ。父であれば墓の場所も覚えているはずだが、今は要介護状態である。実家市から都内に連れて行くことは現実的ではない。
とりあえず、やっと伯父の墓に線香を上げることができた。私は伯父が大好きだったのだ。血のつながりはどもかくとして、私にとって伯父は祖父だったのだから。
住職には何度もお礼を言った。
墓石は比較的新しかった。伯父が建て直したのであろうか。
また、墓誌から、祖父・血のつながりのない祖母(伯父の母)・伯母(伯父の妻)の名前と没年を知ることができた。そして、ほぼ記憶のないいとこの1人が亡くなっていたことも知った。
血のつながりのある祖母は、後妻であるから、血のつながりがない祖母と同じ墓に入れるわけにもいかず、父が実家市に建てた墓にいる。実家市とは縁もゆかりもないはずなのに。
「個人情報保護が」と言いつつも、住職が、もう1人のいとこがよく墓参りに来ることを教えてくれた。別にいいのだが、「個人情報保護が」と言いつつ、この住職は口が軽い。
父の生家探し
交番での聞き取り
私の本籍地はすでに存在しない住所である。おそらく地番変更があったからだろう。
父の生家は、既に存在せずにマンションになっていると聞いているが、具体的な場所が思い出せなくて困っていた。
住職から墓の有無と場所を教えてもらえたので、私は少し調子に乗っていたのだろう。普段であればツバを吐きかけたいようなところ、つまり、交番に行ったのだった。
なぜ私がお巡りが嫌いかというのは、関連記事を参照していただきたい。
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さて、交番で「古い住所で、⚪︎⚪︎区△△NNは現在で言うところのどこ?」と聞いたところ「⚪︎⚪︎区△△の地番はXXまでしかない」という返答であった。そんなことは知っている。今その場所がどこかということが知りたくて聞いているのだ。「昔の地図とかないの?」と聞いたところ、そういうことは役所に聞いて欲しい、ということだった。
やはりお巡りは使えない。
単なる散歩になってきた
ところで、この頃、時刻は14:00だった。
ランチタイムがある店でも、ちょうど営業を終わるような時間である。
朝食はきちんと摂ったのだが…。
腹が減った(CV松重豊)。
とりあえず、近辺を歩き続けなんとか営業しているラーメン屋をみつけた。腹が減っていたのでなんでもうまい。久々の麺活である。
その後、伯父が毎朝、型稽古をしていたという公園に行った。そうだ、子どもの頃、父の実家に行ったときに父に連れて行かれた記憶がある。
公園には、おそらく外回りの営業マンであろう、サラリーマンが数名、サボっていた。営業マンにとって公園は重要である。もっとも、今はGPSで監視(?)などをされているのだろうか。
途中からただの散歩になっている。
これ以上進展はしないだろうし、帰宅して仕事をすることにした。
コタツ調査再び
区役所への問い合わせ
後日、本籍地がある⚪︎⚪︎区役所のWEBフォームから問い合わせをしたところ、1時間も経たずに電話がかかってきた。仕事が早くて驚く。きっと⚪︎⚪︎区は住民サービスの質も高いのだろう。
区民課庶務係の方によると。
・⚪︎⚪︎区△△にNNという住所は存在しない (これは住居表示のことか)
・調べたところ、⚪︎⚪︎区✕✕町NNは存在した。町名変更などにより現在の住所にすると⚪︎⚪︎区△△YYである。昭和40年代に町名変更があったときの台帳によると⚪︎⚪︎区✕✕町NNに"不惑"という苗字の人物が住んでいたという記録がある
・住んでいたと思われる人物の名前を挙げて欲しい
とのことだった。区役所の方と話しながら、Googleマップのストリートビューで確認したところ、おぼろげながら、記憶が蘇ってきた。どうやら父の生家であろう感じがしてきた。
本籍地の表記はいろいろとややこしい。⚪︎⚪︎区は住居表示が実施済みである。要するに、⚪︎⚪︎区△△町YYは住居表示で、⚪︎⚪︎区△△NNは地番なのだろうか。どのみち存在しない場所を本籍とはできないはずだ。
区民課の方に祖父および伯父の名前を伝えた、どちらも世帯主ではないことがわかった。台帳に載っている名前は個人情報保護の観点から教えてもらえなかった。戸籍調査の結果がきたら、わかるのかもしれない。
いったい、誰が世帯主だったのか。いったんは曾祖父として考えてみようか。
昭和40年時点で、曾祖父が存命であったら「墓を譲った」という父からの伝聞に現実味がでてくる。先ほど言った墓には祖父の名前までしかないからだ。曾祖父は北関東某市の墓に入れて、祖父の代から先ほど行った日蓮宗の寺に墓を建てた、と仮定してみる。
北関東某市にあった、先祖が藩士であったと聞かされている「⚪︎⚪︎藩」は定府大名(藩主が領地でなく江戸に定住している)であることがわかっている。上級藩士でなかったことは、前回の藩士名簿からわかっている。
下級武士や陪臣だったにしろ、墓だけ北関東某市におき、江戸に住み続けていた可能性はあるだろう。昭和になり、墓が北関東にあるのが面倒なので都内に新しく墓を建てたという事情であれば、このあたりに矛盾はない。
ただし、生成AIのDeep Search機能を用いた調査では、北関東某市と「不惑」家の関わりは薄いように感じる。墓を譲ったからには、北関東某市近辺には「不惑」の一族がいたはずなのだ。その痕跡が見当たらない。
いったい、どこに墓があるのか。
なお、父から曾祖父の話など聞いたことはない。聞いたことがないというより、私が聞かなかったのだろう。曾祖父や曾祖母は確かに存在したはずだったのに。昔の父であれば、聞けば語ってくれたのかもしれないが、今はもう無理だろう。
生成AI再び
フィールドワークと、それに付随した問い合わせの結果、新たな地名を知ることができた。消えた町名である「⚪︎⚪︎区✕✕町」について調べることにした。今回は苗字と関連づけるのではなく、その土地の歴史や、どんな人が住んでいた街だったのか、ということである。
Deep Researchの実行結果であるが、以下のようなものであった。寺社が多く、また武家屋敷と町民が住むエリアが混在していたようだ。
・寺社への参詣客を相手にした商人たち
・武家屋敷の周辺に住む町職人、奉公人
・寺社と関わりのある宗教関係者
・中下級武士層
が住んでいたとのことだ。
代々、この土地に住んでいたと仮定すれば、下級武士説はまだまだ捨てられない。もっともその仮定は戸籍を追っていかなければわからない。
手詰まり
あとは、戸籍調査の結果待ちである。
戸籍調査は5月に依頼をしたのだが、2,3ヶ月かかるという。このシリーズは一旦終了にする。
次に何か進展があるとしたら、8月頃だと思うのだが、私が飽きていなければ、続きを書くかもしれない。
備忘として、今後すべきことを書いておく。
・戸籍調査の結果をもって、新たな土地が判明した場合、その土地に痕跡が存在しないか確認をする
・曾祖父以降の名前が判明するのだから、自治体などの文書検索システムなどを利用し、不惑某の痕跡を確認していく
→ 試しに東京都の公文書検索システムを利用したが東京都に「不惑(仮)」という地名があっため検索結果が膨大であり、「不惑」というキーワードだけでは膨大な労力がかかる
・場合によって現地に出向く
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