私の苗字は割と珍しい。インターネットで雑に調べる限りでは、日本におよそ12,000人しかいないようだ。
12,000人という数字だけ見ればそれなりにいそうだとも思えるが、1億2,000万人の中の12,000人と考えると、そう多くはないとも思える。数字というのは面白い。
とりあえず私は、身内以外で同じ苗字の人には会ったことがない。
氏が消滅する
さて、仮に私の家を「不惑」家としよう。
「不惑」家の血筋について考察する前に、まず現在の家族構成を整理する。
父に男の兄弟は伯父だけであり、伯父には娘しかいない。
父の子どもは私と妹。私には結婚願望がないため、私が死ねば「不惑」家は途絶えることになる。それについては何の感傷もない。既に廃止された、作られた「家制度」にいつまで乗っかっているのだ。
妹が昔、私に対して「結婚しろ、不惑の名が途絶える」などと、執拗にのたまってきたが、私は家など途絶えればいいと考えている。正直鬱陶しいと思っており、妹に二人目の男の子が生まれたときに「俺の養子にすれば不惑の名前は途絶えないぞ」という冗談を言って仕返しをしてやった。すごく嫌そうな顔をしていた。ざまあみろ。
一族のルーツ:伝聞と記憶
ただ、私が途絶えさせるこの「家」がどういうものなのか、少し調べてみることにした。
まずは伝聞と記憶を掘り起こしていく。
北関東にある某県某市には「不惑」家のそこそこ大きな墓があるらしい。本当だろうか。伝聞というのは何かのヒントにはなるかもしれないが、多くはあてにならない。
父の家系は「不惑家」の本家筋だったが分家に墓を譲り、都内に新しく墓を建てたのだと聞いている。
某市の墓には行ったことがない。都内にある新しい墓は、子どものころ何度か行った記憶がある。
場所を覚えていたので調べたところ、そこは日蓮宗の寺だった。おそらく檀家である可能性が高い。行ってみれば、何か思い出すかもしれない。ただし後述する通り、伯父と父が20歳近く離れているのだ。私と従姉妹もかなり年齢が離れており絶縁状態にあることから「墓じまい」をしている可能性も否めない。
伯父と祖父についての記憶
伯父は剣道・居合道の達人だったらしい。私が小学生のとき剣道を始めたのも伯父の影響だ。伯父は「同田貫」など日本刀を何本も所有していた。伯父が武道をやっていたことは近所に知れ渡っており、早朝に近所の公園で、形稽古をするのが日課だったらしい。ハッキリ言って銃刀法違反以外の何者でもないのだが、昭和のアバウトだった時代、警官も「ああ、またあの人か」と見過ごしてくれていたそうだ。公園での形稽古をやめるように警察から指導されたのは、平成になってからだそうだ。
父と伯父は異母兄弟である。伯父の母は戦後まもなく他界したそうだ。父は後妻の子である。
ふたりの年の差は20近くある。
祖父は、聞くところによればロクでもない人物だったらしい。
祖父が家庭を顧みなかったため、伯父が祖母とともに家族を養ったそうだ。父は末っ子なのだが、姉(私にとっての伯母)が3人いたらしい。いたらしい、というのは一人としか会ったことがないから。異母弟ということで、いろいろとあったようで、没交渉であったようだ。
連絡をとりあうのは母親であった祖母と、ほぼ父代わりの伯父と、母を同じくする一人の伯母だけだったらしい。
私自身は祖父を直接覚えていないが、後に語られる中でも祖父のことを好意的に話す人物には出会ったことがない。
一方で、伯父について悪く言う人は誰もいなかった。伯父は私にとっても祖父代わりの存在であった。最後に伯父に会ったとき「俺が死んだらあの刀はお前にやるからな」と言っていた。当時から「刀なんか要らないから長生きしてくれ」と思っていた。伯父が亡くなったあと、刀は受け取っていない。90歳台で大往生したので、きっと「刀なんか要らないから長生きしてくれ」という私の願いが叶ったのだ。
甥に対して、あのような伯父でありたい。
本籍地をたどる記憶
父の生家は木造の小さなボロ屋で、今はもう存在しない。
傾いていて、丸い箸を更に置くと、転がってしまったのを覚えている。あのボロ屋に、それなりの値段がしそうな日本刀が何本もあるのだから、やはり先祖から受け継いだというのは間違いがないのかもしれない。
そんな家に、祖父・祖母・伯父・伯母三人・父が住んでいたのだから、暮らし向きはとても貧しかったはずだ。父もそう言っていたし、経済的な事情から大学に進学できず高卒で働いたと聞いている。
ところで、父は後妻の子であり、祖母を祖父・祖父の前妻と同じ墓に入れられないということで、実家市に父が新しく墓を建てた。どうしよう、墓が多い。
話を戻そう。この父の生家は私の本籍地でもあるが、前述の通り存在はしない。現在はその場所にマンションが建っているらしい。
休みを作れたら、久しぶりに訪ねてみようと思っている。
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